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神奈川台場とは

神奈川台場は、横浜港の防衛のため勝海舟(1823~1899年)が設計し松山藩が築造した巨大な砲台場である。横浜開港の翌年1860年(万延元年)に、着工からわずか一年ほどで完成した。
二本の取渡り道により海岸と接続され、まるで要塞の島のような形状をしており、台場の周囲は西洋城郭様式の石積みで築かれた。その総面積は約八千坪であった。
1899年(明治32年)に台場が廃止されその役割を終えるまで、一度も実戦に使用されることなく、専ら国際港としての外交儀礼上の祝砲や礼砲を発射するために利用され、近代横浜の誕生と発展に密接な関わりをもってきた施設である。

明治7年~調査「横浜実測図」内務省より

現代の神奈川台場

約40年に渡り祝砲を放ち続けた神奈川台場は、外国人居留地が廃止された1899年(明治32年)、その役割を終えます。
その後、埋めたてにより姿を消した神奈川台場ですが、近年の調査で、ほぼそのままの形で地中に現存していることが明らかになりました。
勝海舟が設計した、近代横浜のルーツとも言える貴重な遺構です。
日本が国際化を果たした際の重要な史跡としても、後世に語り継いでいくべきものと考えています。

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